”我が心は無色無形(むしきむぎょう)なりと雖(いえど)も、而(しか)も本来精浄(しょうじょう)にして潔白(けっぴゃく)なること、猶(なお)し、満月のごとし。”
出典:秘蔵記

mitinami

心には、色も形もないというけれど、私たちの心は、本来、清らかで汚れのない真っ白に輝く闇夜を照らす満月のようなものです。
人は悩みや苦しみという雲に覆われることがあります。
誘惑に負けそうになるたびに自分の弱さを知り、本来の純真で清らかな心に帰することが大切です。

私たちがこの世に生を受けた瞬間、私たちの心も真っ白な状態です。

細胞分裂が始まり、人としての道を進み始めるときから、どんどんと心のキャンパスに記録を残していくのです。

心のキャンパスに記録するスペースが足りなくなったのであれば、思い浮かべるだけで、どんどんと大きく拡張することが可能です。

しかも、拡張するだけではなく、洗濯することも可能なのです。

さまざまな記録を書き込む内に、自分が本当に記録するべきことなのか、その記録が正しいことなのか、わからなくなった時には、一度その記録を洗濯し、クリアーな状態に戻すこともできるのです。

ただし、一番最初のような純白を取り戻すことはできません。

あなたが生きていく過程の中には、さまざまなことがあります。

いいことばかりではありませんし、逆に悪いことばかりでもない。

経験を刻むことで心のキャンパスは完成へ近づいていくのです。

ただ、私たちがこの世での役割を全うするまで、心のキャンパスが完成することはありません。

そう、まるで私たちの心は、

ガウディの未完最高傑作スペインのサグラダ・ファミリア

のようなものなのです。