”辞達して理挙がらんことを要す、故に冗長(じょうちょう)をとること無し。”
出典:文鏡秘付論

turi

意思を伝えるための言葉は、論理的であることが基本中の基本です。
対して、最も良くない例は、回りくどく、冗長な表現を使うことです。
相手に不必要な誤解を与えないためには、明確かつ簡潔なメッセージが必要なのです。

論理的に正論を述べたとしても、自分の意見が通らないことがあります。

普通に考えるとおかしなことですよね。

正論を言っている自分の意見がとおらないばかりか、ダメダメな人の意見がまかり通ってしまうことって体験したことがあると思います。

しかし、時として、回りくどくないストレートで論理的な意見が相手にストレートに届くこともあります。

どちらが必要か、どちらが正しいということではなく、
時と場合、状況判断に寄って、使い分けができることがもっとも重要なのです。

世の中は正論が全てではありません。

なのに、教育の世界では正論が全てだと教えます。

間違っていることをしている人に対して、あなたの考えは間違っている。と忠告したとしましょう。
たとえ、その発言によって、後々の人生が狂ったとしても、正しいことをしたのだから恥ずべきことではない。

と学校では教えられます。

しかし、いくら正しいことをしようとも、忠告をしたことによって、忠告をした人の人生がそれで間違った方向に進んでしまえば、その時の発言は間違っていたと認識するはずです。

何が正しいのか、何が正解なのかなんてことは誰も教えてくれないし、自分が判断するしか無いのです。

たとえ、人生の基点における自分の発言がその後の自分の人生を決めたとしても、それは誰の責任でもなく、自分の行動が招いた結果であり、自分が責任を取るべきことなのです。

このことを教えるのが教育であって、正しいこと、悪いことはあくまでその一個人の観点でしか無いのです。
(この場面で、人を殺していいのかというわかりきった理論は対象としません。)

しかし、自分の意見をはっきりと示すことができなければ、ただ話に同意するだけの大衆の一人になってしまいます。

自分の意見を持ち、自分のアイデンティティを保ちたいのであれば、はっきりと自分の主義主張を発言するべきであり、それが自分という存在を肯定することになるのです

自分を肯定し、自分の意見をしっかりと表現してみてください。
きっと新しい世界があなたを迎え入れてくれるはずです。