”仏智(ぶっち)を証(しょう)せんと欲(おも)わば局執(きょくしゅう)すべからず。一歩して即(すなわ)ち憩えば誰か宝城(ほうじょう)を見ん。”
出典:遍照発揮性霊集

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悟りを得たいのであれば、自らの未熟な考えや浅はかな知恵に執着してはいけません。
自我を通すことは、悟りの地への旅の途中で常に休憩をしているようなもので、いつまでたっても目的地にたどり着くことはできません。
自分の未熟さを認め、我執をすて、純粋な心で進んでいきましょう。

自分の考えなどは、ほんとうにちっぽけなものです。

しかし、誰もが自我を持っており、多くの人は自我を通そうとします。
自我を通すことでその場の満足は得られますが、学びはまったくありませんし、周りの人からの信頼でさえ失うことがあります。

自我、つまり我執を捨て、世の中を客観視することで、見えてくることがたくさんあります。

自我を通し続け、裸の王様になるのではなく、すべてのことを客観的に分析できる有能な執事になることができれば、世の中のことを少しは理解できるようになり、視野が広くなります。

私たちの存在など、本当にちっぽけなものだと認識できたときに、はじめて悟りへの方向が見えてくるのです。

一度、自分の考えを片隅に置いておいて、世の中を客観視してみてください。

きっと何かの気づきが得られるはずです。