”もし本不生際(ほんぶしょうざい)を見る者は、実の如く自心(じしん)を知る。実の如く自心を知るは、則(すなわ)ちこれ一切智智(いっさいちち)なり。”
出典:吽字義

wasikin

物事のありのままをみることができるのであれば、自分自身のありのままの姿を見ることができます。このことは、仏の智恵を授かること、悟りをひらくことと同様のことです。
自分にとって、何が一番大切か、何が一番必要なのか、このことに気づくことができたのなら、見栄や私利私欲、しいては我執から開放されるでしょう。

本質というものは、一目見ただけでは、見極めることができません。

しかし、ふとした仕草よく観察することで、本質というのは見えてくるものです。
私たちは、普段から観察するということを意識して生活していません。
圧倒的に意識して観察する経験が少ないのです。

意識して観察する経験を数多く積むことで、ちょっとした違いが無意識のうちにわかるようになります。
これは、どんな職業の人でも一流と呼ばれる人々にしかわからない違いがわかるようになることと似ています。

超一流の人は、その分野において、圧倒的に経験が多く、一般の人や二流の人にはわからない違いを見極めることができるのです。

同様に、観察することに関して数多くの経験を積めば、いわゆる普通の人にはわからない違い、つまり本質を見極めることができるようになるのです。

人や物の本質を見極められるようになれば、その対象を自分に向けたとき、自分の本質がわかり、自分が進むべき道を見つけることができるようになるのです。

素直にありのままの心で感じることが重要なのです。